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    <title>写真の写真</title>
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    <updated>2011-11-22T02:59:01Z</updated>
    <subtitle>中盤アナログカメラがオモロイ。</subtitle>

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    <title>美しい廃嘘　5</title>
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    <summary> 身近な話題から語りだしましょう。 主人公は、細川護煕です。 熊本県知事の在任中...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://lenweaver.com/">
        <![CDATA[<p><br />
身近な話題から語りだしましょう。</p>

<p><br />
主人公は、細川護煕です。</p>

<p><br />
熊本県知事の在任中に「IBA」を訪れています。</p>

<p><br />
当時、まだまだ「壁」が崩壊するなど誰も考えてはいなかったのです。</p>

<p><br />
ベルリン市当局は、ドイッの大物建築家ヨゼフ・パウル・クライフスをプロデューサーに起用し、ベルリンの壁に沿った開発の遅れている地区を、建築家の力で刺激し、再開発を成功させようと企てました。</p>

<p><br />
それが「IBA」のすべてです。</p>

<p><br />
クライフスは世界から著名な建築家を選び出し、ベルリンの広範な地区を指定して、街区の再構成を依頼しました。</p>

<p><br />
都心にひとが居住します。</p>

<p><br />
西ベルリンには郊外というものがありません。</p>

<p><br />
周囲はすべて東ドイツに囲まれています。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>美しい廃嘘　4</title>
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    <summary> 例外をひとつだけあげねばなりません。 それは、「IBA」です。 「ベルリン国際...</summary>
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        <![CDATA[<p><br />
例外をひとつだけあげねばなりません。</p>

<p><br />
それは、「IBA」です。</p>

<p><br />
「ベルリン国際建築展」と命名されたこの活動は、壁が解放される前の西ベルリンを舞台に、建築家の想像力を最大限に信頼する形で進められた都市運動でした。</p>

<p><br />
ベルリンの街は、この運動によってもたらされた世界の建築家たちの作品(そのほとんどは住宅である)であふれかえり、都市は明らかにその姿を変えました。</p>

<p><br />
この一種のデザイン至上主義による都市運動は、展覧会の形を取って1980年代半ばにはヨーロッパから世界を巡回し、すくなからぬ影響を行使しました。</p>

<p><br />
しかし、それで、本当に豊かな都市がもたらされたかというのが、ここでの主題です。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>美しい廃嘘　3</title>
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    <summary> 1930年代のモダニズムの運動では、ニューヨーク近代美術館の建築部長として「イ...</summary>
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        <![CDATA[<p></p>

<p>1930年代のモダニズムの運動では、ニューヨーク近代美術館の建築部長として「インターナショナル・スタイル展」を組織したフィリップ・ジョンソンは・・・</p>

<p><br />
1980年代にはそれまでのモダニズムに加担した自らの非を認めて、さまざまなメディアで変身を積極的に表明しましたが、運動とはいえない個人的な動きでした。</p>

<p><br />
モダニズムが「建前」のうえに立脚しているのに対して、ポスト・モダンは「本音」のうえに成立していました。</p>

<p><br />
もとより「本音」は運動には馴染まないものです。</p>

<p><br />
このため、1980年代の都市と建築を巡る激動は、建築家たちの個々の活動が寄り集まってひとつの織物を成すような形で進められていった観があります。</p>]]>
        
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    <title>美しい廃嘘　2</title>
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    <summary> ポスト・モダンの思潮が隆起した1980年代は、都市と建築にとって間違いなく激動...</summary>
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        <![CDATA[<p><br />
ポスト・モダンの思潮が隆起した1980年代は、都市と建築にとって間違いなく激動の時代でした。</p>

<p><br />
モダニズムの限界は明らかになり、市民レベルでも、建築家が金科玉条として奉っていた機能主義や合理主義への嫌悪が公然と語られました。</p>

<p><br />
その意味では、20世紀都市は明らかに1980年代に大きな方向転換を遂げたことになります。</p>

<p><br />
19世紀から20世紀にかけての最初の大きな転機は、それこそモダニズムの勃興であったのですが・・・</p>

<p><br />
このときには建築家たちは「国際近代建築会議」(CIAM)を1928年に結成して、自分たちの思想を運動として広げる統一的な戦線を張りました。</p>

<p><br />
・・・しかし、今回の転換にあたっては、そのような組織的な動きは存在しなかったのです。</p>]]>
        
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    <title>美しい廃嘘</title>
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    <summary> 20世紀が都市の時代であるという表現は、すでにモダニズムの時代から口にされてい...</summary>
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        <![CDATA[<p><br />
20世紀が都市の時代であるという表現は、すでにモダニズムの時代から口にされていましたが・・・</p>

<p><br />
モダニズムは都市に不毛をもたらし、その逆発想のポスト・モダンは空疎で美的な19世紀都市のレプリカの形をとった廃壇を世紀末の遺産として残してしまいました。</p>

<p><br />
1980年代のキーワードのひとつは、20世紀の成熱であったはずですが、こと都市と建築に関しては、それは見果てぬ夢に終わってしまったようです。</p>

<p><br />
寒風吹きすさぶドックランドで、震えているのはカメラを手にしたわたしの素手だけではありません。</p>

<p><br />
美しいが空虚なこの都市もまた悲しみに打ち震えているのです。</p>

<p><br />
一度失った「楽園」に戻れない虚脱感が、そこにはあふれています。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>電磁波を初めて利用した人　4</title>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://lenweaver.com/">
        <![CDATA[ジョセブ・ヘンリーは1878年5月13日、ワシントンで亡くなりました。<br /><br /><br />ベンジャミン・フランクリンを除けば、彼はアメリカ最大の科学者といえます。<br /><br /><br />彼はイギリスの物理学者マイケル・ファラデーよりも1年早く電磁誘導を発見しています。<br /><br /><br />電気モーターをはじめて作ったのも彼である、と多くの人は主張します。<br /><br /><br />確かに彼がその才能を管理的業務よりも研究のほうに専ら振り向けていたら・・・<br /><br /><br />彼・・・<br /><br /><br />ヘンリーはもっと広く認められ、アメリカの科学にもっと多くの貢献をなしたに違いありません。<br /><br /><br />]]>
        
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    <title>電磁波を初めて利用した人　3</title>
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        <![CDATA[のちにこれは気象台が天気予報のための気象データを各地のボランティア観測者から集めるのに用いられました。<br /><br /><br />ヘンリーは義兄の助けを借りて太陽の黒点や放射の研究を行い、感度のよい熱電流計を用いて黒点では太陽の他の部分より熱の放射が少ないことを明らかにしました。<br /><br /><br />しかし、気の毒なことにこの科学者は実力ほどには認められていませんが、彼は他にも重要な発見をしています。<br /><br /><br />・・・それはライデンびん(初期的な形式の電気容量)の放電は振動であって、その振動数は非常に速いというものです。<br /><br /><br />のちにヘルツが行った電磁放射の研究にとってこの発見は大きな価値をもっています。<br /><br /><br /><br />]]>
        
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    <title>電磁波を初めて利用した人　2</title>
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        <![CDATA[1835年、ヘンリーはリレーを初めて作ったほか、非誘導性巻線を発明しました。<br /><br /><br />ファラデーが電磁誘導に関する研究を1831年に発表して名声を得たとき、このアメリカの発明家は屈辱の憂き目にありました。<br /><br /><br />ヘンリーは教育に忙しかった上に多くの委員会に関係していたので研究の発表が遅れてしまったのです。<br /><br /><br />・・・ある論文の中で彼はいっています。<br /><br /><br />「私は電気についてこの他にもいろいろな実験を行ってきた。<br /><br /><br />でももっと大切な義務のために実験の検証がこの論文には間に合わないのだ」。<br /><br /><br />・・・けれども彼の業績は認められて、1893年にはインダクタンスの単位に彼の名前が用いられることとなり、いま「ヘンリー」はSI単位になっています。<br /><br /><br />彼はファラデーと同時期に小形の電磁モーターを作りましたが、自分ではこれを単なる科学的な玩具と思っていました。<br /><br /><br />1831年彼は最初の電信装置を設計し、1マイル離れた場所の間での通信に成功しました。<br /><br /><br /><br />]]>
        
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    <title>電磁波を初めて利用した人</title>
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        <![CDATA[今日はジョセフ・ヘンリーについて書いていきたいと思います。<br /><br /><br />彼はイェール大学で1トンもの重量物を持ち上げることのできる巨大な電磁石を作りましたが、これは当時の新記録でした。<br /><br /><br />ヘンリーによるインダクタンスの発見は電気工学の発展の上で最も重要なものの1つです。<br /><br /><br />導線またはコイルを流れる電流が時間的に変化すると、符号が異なるもっと弱い2次電流が発生してもとの電流が変化することを妨げようとします。<br /><br /><br />ヘンリーはこれを発見したのですが、もう1つの発見は、コイル内を流れる電流が変化するとこれに近接して置かれた別のコイルに電流を生ずるというもので、これは変圧器の原理をなすものです。<br /><br /><br />ヘンリーはさらに、エネルギーを与えたコイルから8マイルも隔たった別のコイルに電流を生じさせて針を磁化する実験を行いました。<br /><br /><br />・・・おそらくこれが電磁波の利用の最初と思われます。<br /><br /><br />]]>
        
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    <title>人ロ・・・無視されている問題</title>
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        <![CDATA[<p>エコノミストとエコロジストの認識の食い違いがもっともくっきりと浮かび上がるのは、人口増加をどう見るかに関してです。</p>

<p><br />
人口増加の影響を評価するにあたって、エコノミストはたいてい、それはたいして深刻な脅威ではないと考えてきました。</p>

<p><br />
その見方によれば、もしある国で毎年、経済が5パーセント成長し、人口は3パーセント増えているとすれば、生活水準は着実に2パーセント向上している計算になります。</p>

<p><br />
この経済上の数字だけに頼るなら、この状況は維持することが可能で、際限なく続けていくことができます。</p>

<p><br />
同じ現象を生物学的指標で考えるエコロジストは、人口増加と生活の向上のせいで高まる人々の要求が、森林や草地、土壌が持っている環境容量の限界を次々に超えてしまうと見なします。</p>

<p><br />
第三世界のいたるところで、経済を支える自然システムが、持続可能なレベル以上に収奪されつつあると考えるのです。</p>

<p><br />
その結果、エコロジストは人口増加が広がるだけでも、自然資源の基盤が崩壊すると判断します。</p>

<p><br />
こうした背景を踏まえて、生物学者は最近の人口動向は非常に不安に満ちたものであると警告しています。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>「ポスト農業社会」</title>
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    <summary>現代のようなポスト産業情報社会では、土地と結びついている人は少なくなり、私たちの...</summary>
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        <![CDATA[<p>現代のようなポスト産業情報社会では、土地と結びついている人は少なくなり、私たちの多くが経済を支える農業基盤から分離されてしまっています。</p>

<p><br />
そのため、土地の能力がいつでも自分たちの必要を満たしてくれると考えがちです。</p>

<p><br />
しかし、私たちがこれほど信頼を置いている表面的な経済指標は、実は根本的な問題をおおい隠しています。</p>

<p><br />
ハーバード大学の生態人類学者ティモシー氏は、問題を正しく把握して次のように書いています。</p>

<p><br />
「私たちは高度に工業化された都市文化の中で暮らしているが、『ポスト農業社会』などというものは実は存在しないのだということをしっかり覚えておかねばならない」。</p>

<p><br />
・・・世界経済の農業基盤が弱くなれば、世界経済自体も間違いなく弱体化します。</p>

<p><br />
すなわち、環境の悪化が世界経済のトレンドにおよぼす深刻な影響がまっ先に現われるのが、農業という部門なのです。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>備蓄や穀物価格は今後どうなる？</title>
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        <![CDATA[<p>90年までには繰越備蓄は2億9000万トンとなり、0年は大豊作だったため、91年の繰越備蓄は増えると見られていますが、それでも66日分の備蓄となるにすぎません。</p>

<p><br />
備蓄が60日分（農家から消費者に渡る食糧の流れをとぎれさせないようにする最低限の量）を切れば、価格はきわめて不安定となり、毎週の天気予報によって変動することになるでしょう。</p>

<p><br />
前回、こうした事態が起きた1973年には備蓄は55日分しかなく、穀物価格はものの数か月で2倍にはね上がりました。</p>

<p><br />
90年の備蓄は、この危険な水準に限りなく近づいていたのです。</p>

<p><br />
1990年代には、1人当たりの農地面積と淡水資源、さらに1人当たりの化学肥料使用量も次第に減っていくことが見込まれるため、将来の食糧安全保障に対して根本的な懸念が抱かれています。</p>

<p><br />
懸念に拍車をかけたのは、90年が記録的な豊作だったにもかかわらず、わずかしか穀物備蓄を積み増すことができなかったことです。</p>

<p><br />
・・・このように恵まれた年にも備蓄の補充ができないとすれば、ほかの年はいったいどうなるのでしょうか。</p>

<p><br />
もし凶作が襲ったら、備蓄や穀物価格はどうなってしまうのでしょう？</p>

<p><br />
こうした懸念に対する回答は、これから2、3年のあいだに出されるでしょう。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>世界の穀物生産の成長が鈍化した理由</title>
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        <![CDATA[<p>84年と90年の両年、世界の三大穀物（麦、米、トウモロコシ）は、それぞれ記録的な単位面積当たりの収穫量を上げました。</p>

<p><br />
主要な穀倉地帯がすべてまれに見る好条件に恵まれたからです。</p>

<p><br />
似たような天候に恵まれていた両年なのに、世界の穀物生産の成長が鈍化したのは、まさしく農業の世界の不吉な傾向を示すものだと言えるでしょう。</p>

<p><br />
もし1980年代半ばに記録的な穀物備蓄がなされていなかったら、84年以降の世界の食糧生産の低落は、もっと厳しい結果を招いていたかもしれません。</p>

<p><br />
短期的な食糧安全保障としては最善策と思われる繰越備蓄は、世界を合計すると87年に4億6100万トンにのぼり、世界を102日間養える量となりました。</p>

<p><br />
しかし、それからの3年は、1人当たり穀物生産量の低落を反映して、年間の穀物消費量が生産量を上回り、備蓄は1億7300万62日分を満たすにすぎなくなりました。</p>

<p><br />
9トン減少したのです。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>アダム・スミスの誤り　4</title>
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    <summary>経済学の重大な誤りは、経済モデルのなかで、この創造的活動という高レベルの問題を計...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://lenweaver.com/">
        <![CDATA[<p>経済学の重大な誤りは、経済モデルのなかで、この創造的活動という高レベルの問題を計測や交換、物質的産物と生産要素といった低レベルのものの下位に置き、財の市場は企業家に優先するもの、企業家を支配するものと考えていることです。</p>

<p><br />
それは精神の自由なはたらきを一定の物質的反応に、思考を神経化学に還元しようとする科学者の誤りとそっくりです。</p>

<p><br />
自然の階層では、上位のものを下位の層に引下げることはできません。</p>

<p><br />
原子構造を研究することによって生命のすべてを解明できるという昔からの物理学者の夢は間違いであることはすでに証明されています。</p>

<p><br />
原子構造はわたしたちの生活の物質的対象やエンジンの働きについては役に立つことはほとんど教えることもなく、わたしたちの有機的存在についてはほとんど何も語らず、人間の意識の働きあるいは人間社会にいたってはまったく何も教えてくれないのです。</p>

<p><br />
同様に、市場や貨幣だけを研究しても、経済成長や進歩については些細なこと、あるいは消極的な考えしか生まれてこないでしょう。</p>

<p><br />
ちょうどチェスのルールと道具がチェスの試合に必要なのと同様に、適当に自由な市場と安定した通貨は経済成長に必要です。</p>

<p><br />
しかし道具は試合の戦略と競争の内容は教えてくれません。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>アダム・スミスの誤り　3</title>
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    <summary>スミスからケインズにいたるほとんどすべての経済学者は、スミスの誤りをそのままに・...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://lenweaver.com/">
        <![CDATA[<p>スミスからケインズにいたるほとんどすべての経済学者は、スミスの誤りをそのままに・・・</p>

<p><br />
市場、総需要あるいは通貨供給量は、経済の動きの外で決定されるいわゆる〈外生的〉な嗜好やテクノロジーとの相互作用によって、企業家の機会を決めるものであり、企業家は単に市場を見張り、存在する需要を調停し、力とか利潤とかで表わされる彼らの自己利益の最大化を図る取引をすると主張しています。</p>

<p><br />
多くの企業家は、たしかに〈企業家〉の言葉の意味するとおりにそうした役割を演じています。</p>

<p><br />
すなわち、市場という舞台で他の2人の役者の間に入る人間の役目を果たしているだけです。</p>

<p><br />
それがトマス・クーンが〈通常科学〉と呼んでいる企業家の機能です。</p>

<p><br />
しかし企業家の主要な役割は、科学者の最も大事な役割と同じように、既存の市場あるいは理論の間隙を埋めるのではなく、まったく新しい市場あるいは理論を生み出すことです。</p>

<p><br />
このことで彼らに限界があるとすれば、それは彼ら自身の想像力と説得力だけです。</p>

<p><br />
彼らは画家と同じようにまだ何も描かれていないキャンバスの前に立っています。</p>

<p><br />
詩人と同じく何も書かれていないページを目の前に広げます。</p>

<p><br />
創造的な芸術家と同じように、企業家たちはまったく新しいものを自分たちが支配しようとしている世界にもたらすのです。</p>

<p><br />
もちろん、いったん出来上がると、製品はその価値と稀少性が精密に計算される市場で交換されることになります。</p>

<p><br />
そのような貨幣と財の市場の状況は経済学が深い注意を払うに値する対象です。</p>

<p><br />
しかし経済成長の源泉はこの領域をはるかに外れたところにあります。</p>

<p><br />
経済の成長は自由な人間の頭脳と意志のなかにあり、彼らの創造性と勇気、ねばり強さと信念によって決まるのです。</p>]]>
        
    </content>
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